冒頭部抜粋
必中飛刀の鷹幸
大滝七夕
1、露草の国
確かに、娘の悲鳴である。
己の背丈にも届きそうなほど高い雑草がどこまでも生い茂る原っぱの向こうからキャッ!という声が響いてきた。
同時に、バサッと布団が落ちるような音。
「どうした?」
ショートヘアの黒髪に鷹のような鋭い目つき。それに、やや鼻が高く整った顔立ち。身長は百七十と低くもなく高くもない。紺の着物に灰色の野袴を穿いた精悍な青年が、今しがた夕陽に向かって飛び立った鳩に、鉛筆ほどの長さと太さの細身の棒手裏剣を投げ打つ手を止めて、声がした方を見やる。
もう一度、
「成美。どうした?」
と、そこにいるはずの娘に問いかける。
が、明朗な返事はない。その代わり、微かなうめき声が聞こえてくる。
ただ事ではない。何か起きたに違いない。
鷹の目をした青年が、ハッとして、高い雑草をかき分けながら、駆ける。五メートルばかりも進むと、とうとう、何が起きたのか理解した。
娘が仰向けに倒れていた。
赤い小袖に灰色の野袴をまとい、手に複合弓と矢を持ち、肩を隠すほど垂れ流した黒いさらさらとしたロングヘアの娘。身長は百六十。程よく膨らんだ胸元と腰回りは、大人と変わらない。うりざね顔に睫毛をたっぷりと宿した垂れ目の瞳を湛え、純白の翡翠を削り出して作ったかのような白く艶々とした肌。それに、血色が良くプルンとしたイチゴゼリーのような唇は、見ているだけで吸い込まれそうなほど魅力的だ。
その娘の唇から、うめき声が漏れていた。
が、もはや、声がかすれている。
「ど、どうしてなの……鷹幸さん……」
「成美!」
鷹幸と呼ばれた青年。すなわち、毛里鷹幸は、草むらに横たわる成美こと、鶴谷成美の傍らにくずおれるように跪くや、成美の背中に左腕を滑らせて抱きかかえる。
「も、もうだめよ……」
成美の盛り上がった胸の中央から微かに血が滲みでている。そこには、細く小さいが鋭く冷たい細長い鉄の棒が突き刺さっている。
なんと、鷹幸が今しがたまで、打っていた細身の棒手裏剣と寸分たがわぬ新品の鉛筆とほぼ同じ長さと太さの手裏剣である。
「お、俺が打ったのか……?」
「ほ、ほかに誰がいるっていうの……」
「そ、そんな馬鹿な……」
「で、でも、た、鷹幸さんを恨まないわ……」
そこまで言うと、成美は、はあっ……とため息をついて、白目をむいて、頭をだらりと傾けた。息絶えてしまったのだ。
「そ、そんな馬鹿な……どうして、俺が成美を……成美……成美……」
夕陽は何事もなかったように、成美を揺さぶり続ける鷹幸の背中に注がれ続ける。
上空を円を描くように飛ぶ黒い大きな影。
ピーヒョロヒョロ……という鳴き声を発したと思うと、その影は、バタバタと羽音を立てながら、舞い降りて、鷹幸の左肩に止まった。
黒く大きな体つきに、鋭い目つきと嘴を持つ鳶である。
鷹幸の肩に鳶の鋭い爪が食い込んでいる。これだけ食い込んでは痛いはずである。
しかし、鷹幸は、そんなことを一切気にせずに、
「成美……成美……」
とうめき声を漏らしながら、成美を揺さぶり続けるばかりである。
やがて夕陽が、黒雲に覆われて、辺りは急激に薄暗くなった。
成美との出会いは偶然だった。
鷹幸は、もともとこの世界――『露草の国』の人間ではない。
ふさわしい言葉ではないが、『現実』の日本の公立上州高校に通う三年生であった。公立上州高校は、多くの生徒が有名大学に現役で合格する県下有数の進学校である。
鷹幸は、その公立上州高校でもトップクラスの成績で、模範生であった。しかし、それは去年までのことだ。今では、すっかり、やる気を無くして、成績はがた落ち。学校生活にも張り合いが持てなくなっていた。
きっかけは、失恋である。
何年も信じていた女の子。肩を寄せ合い、抱き合い、キスまでかわし、ずっと一緒にいようと約束した女の子に裏切られたのだ。
些細なことかもしれないが、鷹幸にとっては重大なことだった。
学業にも影響するほどに……。
失恋して日常生活に張り合いが持てなくなった男子高校生がひょんなことから知り合った女子高生についてゆくと江戸時代風の異世界に迷い込んでしまう。早速、手裏剣の特技を活かして狩りをしていると謀略に巻き込まれ、牢に放り込まれてしまうが……。
現実の世界では公立上州高校の三年生である毛里鷹幸は、暴漢に襲われていた鶴谷成美という美貌の娘を助けたことをきっかけに、鶴谷成美が住まう江戸時代風情の溢れる異世界『露草の国』へ誘われる。
鷹幸は、手裏剣の名手として露草の国での暮らしを満喫していたが、ある日、鶴谷成美が胸に手裏剣を受けて絶命してしまう事件に巻き込まれる。事件が起きた時、周囲にいた手裏剣の遣い手は鷹幸だけ。犯人として疑われて牢獄に捕らわれるが、剣賀組のくノ一『猫目の朋美』によって、救われる。
猫目の朋美の案内で、剣賀組の頭にして、必中飛刀の根賀剣泉という手裏剣の遣い手の三番弟子となる。さらに腕を上げた鷹幸は、相思相愛の仲になった猫目の朋美と共に、剣賀組の一員に加わる。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大滝 七夕
法学部在学中に行政書士、宅建等の資格を取得し、卒業後は、行政書士事務所、法律事務所等に勤務する傍ら、法律雑誌の記事や小説を執筆し、作家デビュー。法律知識と実務経験をもとにしたリーガルサスペンスを中心に、ファンタジーや武侠小説などを執筆している。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
必中飛刀の鷹幸
大滝七夕
1、露草の国
確かに、娘の悲鳴である。
己の背丈にも届きそうなほど高い雑草がどこまでも生い茂る原っぱの向こうからキャッ!という声が響いてきた。
同時に、バサッと布団が落ちるような音。
「どうした?」
ショートヘアの黒髪に鷹のような鋭い目つき。それに、やや鼻が高く整った顔立ち。身長は百七十と低くもなく高くもない。紺の着物に灰色の野袴を穿いた精悍な青年が、今しがた夕陽に向かって飛び立った鳩に、鉛筆ほどの長さと太さの細身の棒手裏剣を投げ打つ手を止めて、声がした方を見やる。
もう一度、
「成美。どうした?」
と、そこにいるはずの娘に問いかける。
が、明朗な返事はない。その代わり、微かなうめき声が聞こえてくる。
ただ事ではない。何か起きたに違いない。
鷹の目をした青年が、ハッとして、高い雑草をかき分けながら、駆ける。五メートルばかりも進むと、とうとう、何が起きたのか理解した。
娘が仰向けに倒れていた。
赤い小袖に灰色の野袴をまとい、手に複合弓と矢を持ち、肩を隠すほど垂れ流した黒いさらさらとしたロングヘアの娘。身長は百六十。程よく膨らんだ胸元と腰回りは、大人と変わらない。うりざね顔に睫毛をたっぷりと宿した垂れ目の瞳を湛え、純白の翡翠を削り出して作ったかのような白く艶々とした肌。それに、血色が良くプルンとしたイチゴゼリーのような唇は、見ているだけで吸い込まれそうなほど魅力的だ。
その娘の唇から、うめき声が漏れていた。
が、もはや、声がかすれている。
「ど、どうしてなの……鷹幸さん……」
「成美!」
鷹幸と呼ばれた青年。すなわち、毛里鷹幸は、草むらに横たわる成美こと、鶴谷成美の傍らにくずおれるように跪くや、成美の背中に左腕を滑らせて抱きかかえる。
「も、もうだめよ……」
成美の盛り上がった胸の中央から微かに血が滲みでている。そこには、細く小さいが鋭く冷たい細長い鉄の棒が突き刺さっている。
なんと、鷹幸が今しがたまで、打っていた細身の棒手裏剣と寸分たがわぬ新品の鉛筆とほぼ同じ長さと太さの手裏剣である。
「お、俺が打ったのか……?」
「ほ、ほかに誰がいるっていうの……」
「そ、そんな馬鹿な……」
「で、でも、た、鷹幸さんを恨まないわ……」
そこまで言うと、成美は、はあっ……とため息をついて、白目をむいて、頭をだらりと傾けた。息絶えてしまったのだ。
「そ、そんな馬鹿な……どうして、俺が成美を……成美……成美……」
夕陽は何事もなかったように、成美を揺さぶり続ける鷹幸の背中に注がれ続ける。
上空を円を描くように飛ぶ黒い大きな影。
ピーヒョロヒョロ……という鳴き声を発したと思うと、その影は、バタバタと羽音を立てながら、舞い降りて、鷹幸の左肩に止まった。
黒く大きな体つきに、鋭い目つきと嘴を持つ鳶である。
鷹幸の肩に鳶の鋭い爪が食い込んでいる。これだけ食い込んでは痛いはずである。
しかし、鷹幸は、そんなことを一切気にせずに、
「成美……成美……」
とうめき声を漏らしながら、成美を揺さぶり続けるばかりである。
やがて夕陽が、黒雲に覆われて、辺りは急激に薄暗くなった。
成美との出会いは偶然だった。
鷹幸は、もともとこの世界――『露草の国』の人間ではない。
ふさわしい言葉ではないが、『現実』の日本の公立上州高校に通う三年生であった。公立上州高校は、多くの生徒が有名大学に現役で合格する県下有数の進学校である。
鷹幸は、その公立上州高校でもトップクラスの成績で、模範生であった。しかし、それは去年までのことだ。今では、すっかり、やる気を無くして、成績はがた落ち。学校生活にも張り合いが持てなくなっていた。
きっかけは、失恋である。
何年も信じていた女の子。肩を寄せ合い、抱き合い、キスまでかわし、ずっと一緒にいようと約束した女の子に裏切られたのだ。
些細なことかもしれないが、鷹幸にとっては重大なことだった。
学業にも影響するほどに……。
失恋して日常生活に張り合いが持てなくなった男子高校生がひょんなことから知り合った女子高生についてゆくと江戸時代風の異世界に迷い込んでしまう。早速、手裏剣の特技を活かして狩りをしていると謀略に巻き込まれ、牢に放り込まれてしまうが……。
現実の世界では公立上州高校の三年生である毛里鷹幸は、暴漢に襲われていた鶴谷成美という美貌の娘を助けたことをきっかけに、鶴谷成美が住まう江戸時代風情の溢れる異世界『露草の国』へ誘われる。
鷹幸は、手裏剣の名手として露草の国での暮らしを満喫していたが、ある日、鶴谷成美が胸に手裏剣を受けて絶命してしまう事件に巻き込まれる。事件が起きた時、周囲にいた手裏剣の遣い手は鷹幸だけ。犯人として疑われて牢獄に捕らわれるが、剣賀組のくノ一『猫目の朋美』によって、救われる。
猫目の朋美の案内で、剣賀組の頭にして、必中飛刀の根賀剣泉という手裏剣の遣い手の三番弟子となる。さらに腕を上げた鷹幸は、相思相愛の仲になった猫目の朋美と共に、剣賀組の一員に加わる。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大滝 七夕
法学部在学中に行政書士、宅建等の資格を取得し、卒業後は、行政書士事務所、法律事務所等に勤務する傍ら、法律雑誌の記事や小説を執筆し、作家デビュー。法律知識と実務経験をもとにしたリーガルサスペンスを中心に、ファンタジーや武侠小説などを執筆している。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)