火車組顛末記

投稿者: | 2020年12月3日

冒頭部抜粋

 火車組顛末記
               大滝七夕

一、棒手裏剣の十兵衛

 薄闇の中、愛宕山の膨らみかけた桜の蕾が寒風に揺られた。
 桜の木の下の縁台に腰かけた若侍は、その蕾を見上げてほっと一息ついた。
「若旦那。この一杯で今宵は店じまいですぜ」
 屋台の老爺が差し出したかけそばの椀を若侍が無言で受け取る。
 きっちりと髷を結い、袴に紺色の羽織姿。腰には一本の脇差を指しているだけであるから、愛宕下の大名小路辺りの武家屋敷に詰める藩士が夕餉代わりにそばを食べに出てきたのだろうか。
 身の丈は六尺に届くだろうか。鷲のような鋭い目つきが印象的なよく整った顔立ちの精悍な若者である。特別に大兵というわけではないが、無駄な贅肉は全くなく、武芸の稽古で鍛えていることが伺える。
 それにしてはよく食う。これで五杯目である。刻み葱が一掴み盛られているだけの二八蕎麦であるが、若侍は、無言でうなずきながら、かき込んでいる。
「もうすぐ桜が咲くっていうのに、今夜は寒くなりそうだねえ……」
 屋台の小柄な老爺が身をぶるっと震わせながら身を縮めた。古狸のような間抜けな顔立ちをしているが、時折、鋭い視線を若侍に向ける様は、ただの蕎麦屋の老爺とは思えない。
「俺は寒くない。もっと寒いところにいたからな」
 あっという間に、そばを食べつくした若侍が口を開いた。
「そりゃ、大したものですなあ。あっしは生まれも育ちも江戸なものですから、これ以上の寒さだと、屋台を担いで商売に出られねえですよ。若旦那は、北国の方ですか?」
「いや……俺も江戸で生まれた。幼少のころは奈良に行き、江戸にいたのは五年くらいだ。それから仙台に九年間行って、最近戻ってきたばかりだ」
「へえ……若旦那は藩士ではねえんですか?」
「亡くなった親父は旗本だ。俺は妾の子で末っ子。母も物心が付かないうちにいなくなり、今は家を出て浪人のようなものだ」
 ふと、ため息を漏らした若侍は、懐から半月状の刀の鍔を取り出して見入った。
 鶴の彫刻が施されている鍔だ。元々は円形の鍔であったのを真ん中で半分に分けたのだろう。
 もはや、刀の鍔としては使えないが、紐を通して首に掛けられるようにしているところを見ると、何かの形見だろうか。
 若侍を見やった老爺の顔に、一瞬、憂いの色が浮かんだ。
「若旦那みたいな立派な方なら養子の口がいくらでもありますでしょうに……」
「ふっ……養子になって、お役目なんぞについたら、人付き合いがわずらわしい。贅沢をしなければ浪人でも食っていける」
「若旦那は羽振りがよさそうですなあ……」
「いや。羽振りがいいんじゃない。無駄な物を持たないだけだ。俺は大刀を持たない。どうせ必要ないからな。大刀を処分して羽織を買った方がよっぼと役に立つ」
「へえ……確かに、太平の世で、大刀を腰に差しているのは馬鹿げたことですなあ……ですが、若旦那。近頃は、物騒なこともあるから気を付けた方がいいですぞ」
 老爺が周囲を見渡して声を潜めた。
 こんな寒い日は、皆、家に閉じこもっているので、人通りは少ない。もうすぐ、闇に包まれようとしている時刻ならばなおさらである。だが老爺は、重大な秘密を打ち明けるかのように若侍の傍に寄った。
「むっ……何かあったのか?」
「若旦那は知らねえですかい?去年の春、公方様のお世継ぎ様が急死なされた事件を……」
「ああ。知っている。鷹狩の帰りに急な病に罹られたって話か。確か、品川の東海寺で倒れたそうだな?」
 公方様のお世継ぎ様とは、十代将軍徳川家治公の嫡男徳川家基公のことである。
 幼いころから聡明で文武両道。政を老中田沼主殿頭意次に丸投げしている家治公とは違い、政にも関心を持ち、田沼主殿頭に対して意見することもあったとか。それだけに、家治公も十一代将軍として期待していたのだが、昨年、安永八年(一七七九年)の春、鷹狩りの帰りに、東海寺で突然体の不調を訴え、三日後にあっけなく亡くなってしまったのだ。
「それがどうも、ただの病じゃないみたいなんですわ……」
「うん……?」
 若侍も、身を乗り出した。
「実は、暗殺されたのではないかという噂なんですわ。どこかから飛んできた毒針を喉に受けたとか……側近の者がすぐに毒針を抜いたのですが、どうやら、解毒薬のない、異国伝来の猛毒が塗られていて、手遅れになってしまったとか」
「毒が塗られた針か……物騒だな……」
「全くで……ですから、若旦那もお気をつけください」
「うむ……しかし、爺がそんな裏話に詳しいのはどうしてだい?」
「こうして、屋台を担いで、あちこちを回っているといろんな噂話を聞きますからなあ……」
「ああ……そうか……」
 若侍は、汁も飲み干してしまうと、「はあ。うまかった」とお椀を老爺に返した。
 若侍がふと道に目をやると、身の丈五尺ほどの小柄な女が一人で歩いてきた。
 櫛巻の髪型に、桜色の小袖をまとい、帯には短刀があるのでどこぞの武家の娘だとわかる。左手には木刀袋を持っているので、どこかの道場で剣術の稽古をした帰りなのだろう。武家の娘であれば、武芸をたしなむのは珍しいことではない。
 異変が起きたのはまさにその時である。
 後ろから大小の刀を差した三人の狼藉者が駆けてきて、その娘を取り囲んでしまったのだ。
 娘は、三人を一瞥すると、さっと半身に構える。狼藉者が無言で抜刀して正眼に構えた。全員覆面をしており素顔が分からない。
「私を火付盗賊改方頭、贄(にえ)越前守の娘と知ってのことですか!」
 娘の鋭い一声が夕闇に響き渡る。狼藉者は無言。引き下がる様子もない。言わずと答えは知れている。
 娘は動じる様子がない。単に肝が据わっているだけでなく、それなりに武芸の心得があるようだ。
 だが、丸腰で大刀を持つ三人の男にどう対処するのだろう。帯の短刀程度では、役に立たないことは明白だ。ましてや木刀は、なおさらだ。
 若侍は、縁台に腰かけたまま、じっと四人の様子を見守るばかり。屋台の老爺も慌てる様子はない。辺りには他に人はいない。

火車組顛末記

「手裏剣術を極める」とは、己の手にある手裏剣を打ち出すことだけを意味するのではない。敵が打ち出した手裏剣を掴み取り、投げ返してこそ、初めて、極めたと言うことができる――大刀を捨て、棒手裏剣のみに賭ける甲賀忍の末裔が徳川家を守るために暗躍する。

「手裏剣術を極める」とは、己の手にある手裏剣を打ち出すことだけを意味するのではない。敵が打ち出した手裏剣を掴み取り、投げ返してこそ、初めて、極めたと言うことができる――仙台での武者修行を終えて江戸に戻った山岡十兵衛景宗は、甲賀忍の末裔にして、大刀を捨て、棒手裏剣のみに賭ける若き剣客である。
時は、安永九年(一七八〇年)。前年に十一代将軍と目されていた家基が品川の東海寺で病に倒れ亡くなった。だが、家基は病死したのではない。何者かが投げ打った毒針を喉に受け、その毒が元で亡くなったのだ。
十兵衛が師範代として江戸の秋葉道場に戻ると同時に、再び、毒針を喉に受けたことによる殺しが相次いだ。十兵衛の兄弟子柏田虎之助も被害者の一人。虎之助の仇を討つために、十兵衛は立ち上がる。
一方で、十兵衛は、狼藉者に襲われた火付盗賊改贄正寿の娘琴音を救う。琴音は、十兵衛の妹弟子でもある。共に行動する中で琴音との恋愛関係を深めていく。
やがて、敵の正体が遠賀疾風、妖女お艶という忍びが率いる棘(おどろ)組だと知る。十兵衛は棘組の手で危うく命を落とすところで、もう一組の忍び集団火車組に救われる。
火車組は吉宗が御庭番創設と同時に作った将軍の私的な忍び組織。その頭だったのが奈良奉行に栄転する前の亡父山岡景之。十兵衛は家治から直々に葵のご紋入りの脇差を賜り、火車組の頭見習いとして闘う決意を固める。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大滝 七夕
法学部在学中に行政書士、宅建等の資格を取得し、卒業後は、行政書士事務所、法律事務所等に勤務する傍ら、法律雑誌の記事や小説を執筆し、作家デビュー。法律知識と実務経験をもとにしたリーガルサスペンスを中心に、ファンタジーや武侠小説などを執筆している。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)